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まっどさいえんちすと

日本語が苦手なのでブログで練習します。パエリアが大好き

中大兄皇子の夏期休暇Part2

やはり藤原氏。こいつを抜かしては大化の改新を語れないというわけです。

よく一般的な名前でいらっしゃる加藤さんは、加賀を領地にした藤原一族ということで、命名されているわけで、1000年以上にわたって朝廷に君臨した藤原氏だからこそできるわけです。

 

なぜ1000年も続いたのか。それは藤原鎌足、こいつが最強なんですね。

戦わずして勝つ先方。更に鎌足の息子、藤原不比等がしかけた様々な策略が素晴らしかった。

 

まあ一言で言いますと、大体の藤原氏はかなり頭が良かった。なぜなら天皇を頂点とする朝廷の権力システムを毎回作ったわけです。

 

まず今日は鎌足についてですな。

談山神社、ここで鎌足がまつられてます。ここで蹴鞠祭りが行われていますが、中大兄皇子と出会ったのは、この神社と言われてます。

中大兄皇子は蹴鞠の最中、くつが脱げてしまう。そこで鎌足が靴を拾う訳ですww

乙巳の変それで一緒に起こした訳です。(クソ軽いな)

 

その後、大化の改新を起こした。鎌足はなぜクーデターを起こしたのか。

中臣鎌足は、朝廷の祭司を仕事としていて、蘇我氏を殺したかった訳です。ただ鎌足の財力と勢力では厳しくて、中大兄皇子の力を借りて、蘇我入鹿を殺した分けです。いぇい。

 

鎌足がクーデターをする上で参考にした書物は、六韜(兵法)を参考にしていたわけです。(鎌足はこれを暗唱できたらしい)

弱気を持って、強気を打つには、必ず大国と隣国が必要だよ、とかね。

 

鎌足は、中大兄皇子蘇我入鹿の従兄弟(石川麻呂)を味方につけます。

この石川麻呂というのが重要で、こいつが浮気をしたので、中大兄皇子はブチ切れます。しかしそのタイミングで、鎌足がクーデターの誘いを蘇我入鹿の従兄弟にします。

(蘇我氏の内部分裂を見抜いたところが凄いと言われてます。)

 

さて肝心の暗殺はどうしたか。偽の儀式に呼び出します。そこで蘇我入鹿の刀を奪います。中大兄皇子が自ら切り掛かったというわけです。蘇我氏本宗家は滅亡しました。

事態の収拾が圧倒いう間に終わったということで、中臣鎌足は、全てを味方にした、と推測されます。

 

そして鎌足は内大臣となります。鎌足は、武芸に秀でてたわけではないけど、計略を巡らせて、人物を動かしながら、偉くなってったわけですね。青雲の志を持った鎌足。

(国際的には、唐が高句麗に侵入したりして、日本も唐の属国になるのではないかと、不安だった)

だからどうやって日本を強くするか、権力を集中させるか。大臣中心にするか、王族中心にするか。その辺が政治の議論のポイントで、大化の改新を起こしたかった元々の理由だったわけです。

 

理想を抱くものは権力が欲しくなる。このやり方でなければいけない、だから権力が欲しい。目的のために、蘇我入鹿を殺すしかなかった。権力は手段だったわけです。

 

中大兄皇子はその後天智天皇のとなり、鎌足は藤原の性をここで受けます。

さて次に藤原不比等。こいつがブレインでしょう。671年天智天皇が死にます。

藤原氏は権力をキープするためには。

人身の内乱、大海人皇子大友皇子、673年、藤原氏は政権を追われてしまいます。

天武天皇の後をついた持統天皇藤原氏を政権中枢に呼び戻した。ここでリボーンしたわけです。

藤原不比等は、日本書紀の編纂に力を注ぎました。漢文で書かれた日本最初の歴史書。

藤原不比等は文書の扱いを熟知していたので、こういうのが得意だったらしい。

 

ここで大事なのは日本書紀の内容。この内容は、天皇の正当性を示すとともに、実は藤原氏の権力を高めようとしたものだった。大化の改新の部分を相当修正したようです。

意図的な加筆。藤原氏の権力を正当化しようとしたわけですね。

これによって中大兄皇子と鎌足が英雄として歴史に位置づけられたわけです。

日本書紀の編纂を通して、権力を高めたわけですね。

 

更に藤原不比等が進めたのは、天皇家との婚姻。文武天皇藤原不比等の娘は結婚します。聖武天皇は、藤原不比等の孫ですし、どんどん絡んで行きます。

長くなったのでPart3へ移動します。