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まっどさいえんちすと

日本語が苦手なのでブログで練習します。パエリアが大好き

中大兄皇子の夏期休暇Part1

この夏は、近畿地方に1ヶ月ほどおりました。日本の歴史を少しだけ感じました。

 

引き続いて、中大兄皇子についてお話をしましょう。

 

まず時代背景から。その当時日本は倭国という言い方をしていました。

唐・新羅と外交などを行っていましたが、それに反対していたのが中大兄皇子でした。(倭国を攻め入られると考えていた)

なので外交賛成の孝徳天皇に反旗を翻し、難波宮から飛鳥に都を変えたいと言いました。そして孝徳天皇が死んでしまい、飛鳥に都にした訳です。

 

次の天皇斉明天皇(息子の中大兄皇子)と共に飛鳥の開発を進めました。運河や庭園の開発、そりゃはまあ凄かったことでしょう。

 

そして飛鳥にある石像物、須弥山石、仏教の中の中心的な山、その一つ一つが山などを表現している。(役割としては、飛鳥が世界の中心にある、ということを示そうとしたわけです)

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須弥山石の周囲からは、東北の黒色土器なども見つかっており、実際の儀式では、蝦夷、隼人、粛慎とか(その当時の外国人たち)をwelcomeしたそうです。

 

こうやって外国と仲良くなったので、斉明天皇は、ついに唐に遣唐使を派遣しました。倭国が辺疆を支配したということを示したかったためです。唐は勝つか負けるかを選択させるような外交しかしないと、倭国側は結構恐れていたんですね。

ところが斉明天皇が急死します。(中大兄皇子の親)

 

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

 

それを歌ったわけです。(百人一首1番)

今でも斉明天皇の死を悲しむ踊りがあるようです。

続く。。