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まっどさいえんちすと

日本語が苦手なのでブログで練習します。パエリアが大好き

この人胡散臭い(1)

世の中に胡散臭い人って多くないですか。

今日の講義でも、やたら細かい臨床学的な組織の分類を早口で並べ立ててから、質問してやったんです。

「腎臓癌では外科的手術しか選択肢が現在はまだないのに、しかも丸ごと1個切除するケースがほとんどなのに、どうして細かい6cm, 10cmとか訳の分からない分類をしているんですか?」

と聞いたら、

「え、それは、後々データとして残るからです」とか意味不明なことを言っていた。だったら写真や長さを計測メモしとけ。と突っ込みたかった。きっと意味があるんだろうけど、講義をした偉い()先生は答えれなかった。

 

胡散臭い人に特徴的なことって、

目の前の事柄を処理し続けた結果、それだけで偉くなったつもりでいる人、立場で手に入れただけで偉そうにする人。

だと思います。

ビジネスコンテストもなぜ胡散臭いのか、というと、目の前のイベントに対して一回限りに処理を上手くやったからと言って、そこからずっと偉くなったつもりの人が多くて、それを主張し続ける人が多いからだと思います

 

それはつまり、目の前の事柄から得た情報を全て吸収して、眼がくもってしまって、何が本質や原則か、ということを理解できない人たち。

 

じゃあ胡散臭くない、いわゆる本物の人って何?

原則や本質を理解している人?

ということになります。

 

今日ご紹介する本はこのあたり。

眼の哲学・利休伝ノート (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

茶の本 (岩波文庫)

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

魯山人書論 (中公文庫)

 

この4冊かなと思います。

共通しているのは、「美とは何か」と

芸術論を展開している高等遊民の方々。

 

まず

眼の哲学・利休伝ノート (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

これは青山二郎の本。

彼の文章は正直意味不明。

例えば「美しいとは何ですか?」とか聞くと

「見れば解る、それだけの物だ。博物館にあればたくさんである」と答える。

美しさとは対象に宿るのではなく、見た自分に宿ると。

やはり美しさを見たり語るときに、人は余計なことを考えすぎている気もします。

 

次は

茶の本

まあこの人もよくわからない。

「故意に何かを仕立てずにおいて、想像のはたらきでこれを完成させる」

茶道の精神。不完全が完璧であるというものです。

 

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 

感じたままを好き勝手に書く。しかもその書き方が才能や徳を隠して、世俗の中に交じって目立たないようになっている点。

いずれ詳しく書かせてください。

 

魯山人書論 (中公文庫)

 

これが一番読みやすいと思う。

本当に単純な感想を述べて行くけれど、それが非常に鋭い。

例えば

「うまい字はたくさんあるが、よい字というものは少ない」

とか。

 

以上のような4冊をそれぞれご紹介しましたが、次の記事では、

それらが共通して主張していることをまとめたいと思います。

 

美の感じ方なんでそれぞれで良い、というのは最も。

ただ時代が移り変わっても変わらない美、本物の美とは何か。

それが本物につながるのではないでしょうか