まっどさいえんちすと

日本語が苦手なのでブログで練習します。パエリアが大好き

夏休みの終わりと仮説

ふぅ。さきほど、こだま700系を見たので、テンションが高まってます。

しかし明日から2学期開始です。

この週末は生命夏の学校に言って参りました。楽しかった!

皆さんの研究面白いし、自分の研究のポジションみたいな何かも少しだけ把握しました。

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一つ気になる点としては、科学の演繹的なアプローチと帰納的なアプローチに関する意識があまり取り上げられなかった気がします。(偉そうにごめんなさい)

 

この合宿の一つのコンテンツで一つのテーマについて話し合うのですが、そこで

「仮説を実証することで科学を説明する」というようなテーマがあったのですが、

そこでは誰一人ポパーやヒュームについて論じる人はいなく、実験データから導いた理論と、理論屋さんが考える理論は、どちらが正確か、みたいなことが話されていて、少し議論がぼやけてしまいました。

 

僕もそこまで知りませんが、ヒュームの懐疑論では、帰納的推論を論理的に正当化することはできないと主張されてます。

100回やって赤だからといって、101回目も赤となる保証はない。とか

すなわち、ある秩序のもと、同じ条件で同じ結果が出ることを正当化することもできない。とか。

 

するとカールポパー先生が次に出てきます。

ポパーは科学は以下のようにして発展して行くと。

1:仮説を立てる

2:仮説を実験で証明できる形にする

3:仮説を反証して棄却することを繰り返す。

4:正しそうな仮説が生き残る

 

こういう議論ができれば良かったですが笑

まあ突っ込む人間は、突っ込まれるという、いつもの歴史のパターンで

ポパーにツッコミが来ます

「仮説がいくら反証を乗り越えて強くなっても、それが予測の正当性を担保することはないでしょう!!!」

 

ここでポパーは上手く議論を進めます。

反証可能性という概念を導入するのです!!!

「科学であるということは、反証可能性を含むということなんだ」とポパーは言う。

 

つまりツッコミを入れられない仮説や、いくらでも言い逃れができる仮説は科学ではない。いわゆる似非科学ということです。

 

まあ相対性理論ですら、いまのところ、まだツッコミがされていない仮説に過ぎない。という味方もできるわけです。

 

なんでパエリアの画像かとい言いますと、頭からパエリアが離れないからです。