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まっどさいえんちすと

日本語が苦手なのでブログで練習します。パエリアが大好き

文系を馬鹿にしちゃぁいかん~学問の本質

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さてタイトルの通りに、文系を馬鹿にしては痛い目を見るぞ。という点について自分感じるところを纏めてみました。そこから学問の本質についても少し言及してみました。友人には是非読んで欲しいです。

さてそもそも、文系ディスリの反省をまとめてみようというキッカケは、昨日ベクトル解析の勉強をしている時でした。これが本当に難しい。直感でイメージできるまで落とし込むのにやっとこさ、だったわけですが、しかしネットで後ほどググると、僕が理解に苦しんでた定理が、他の簡単な定理と実は本質的には同様である。という記事があったわけです。(ガウスの定理の応用)。そしてその他の簡単な定理の方が100倍理解しやすく、頭に今も強く残っています。

数学的な話はさておき、ここから感じたのは、「学問の理論体系はできるだけ、簡単の方が素晴らしい。」ということです。本当に「できるだけ簡単な理論で、できるだけ多くの複雑なことを理解できる」というのが学問の目標だと感じました。(当たり前か笑)

たぶんここで言いたいことの「できるだけ、お安く、簡単に、」という概念なんですが、実は日頃からそういうものは周りに溢れてると思います。例えるならば、ここに100円の手榴弾があります。新しい手榴弾を開発するさいに、「100円で2倍の殺傷能力を持つ手榴弾の開発」か、「50円だけど、100円と同じ威力を発揮する手榴弾の開発」。どちら両方とも等価だということです。

自分も研究を初めてから、どうも複雑な方向へ話を持ってきたい癖がありました。「こんなすごいアルゴリズムや関数を開発したんだから、きっとすげー生物学の発見が待ってるんだろう」という気持ちを持ってました。でも今年から数学の勉強を初めて(行列・ベクトル解析)、その強気な気持ちが、いかに偏っていたか理解しました。

さて話をタイトルに戻すと、「文系を馬鹿にしてはいけない」ということです。僕は正直、去年まで「文系は何も生み出すことができない、事件が起きたあとの評論家に過ぎない」と本気で思ってました。そしてその一方理系の集団に関しては「オリジナルな専門性を持った素晴らしい集団」と思ってました。「文系100人は1人にしかならない。反対に理系100人居た方が良いに決まってる。」

しかしこの考え方は間違ってました。なぜならそもそも僕の理系優位の仮定が間違ってたのです。理系優位なのは、彼らの専門分野のみです。そうまるで一つの部品のように。理系集団という部品が多くあるのでしょうが、そこから一つの製品をつくるときに、部品を上手く組み合わせないといけないです。しかしその組み合わせを理系の人ができるのでしょうか。それは難しいでしょう。専門分野に進めば進む程、自分の専門分野がこの地球上の限定された場所でしか役に立たないということを忘れてしまうからです。理系優位でも何でもないわけです。クリエイティブでも何でも無いわけです。

さてでは、なぜこの考えに至ったか、というと、冒頭で述べた「学問の基本は、どれだけ簡単な理論体系で多くの情報を理解できるか」ということですが、理系文系に言い換えると、自分が考えていた専門性=複雑さ、ということであり、「いくら専門的な理論体系を立てても、多くの情報が理解できなければ意味が無い。すごいものを作れなければ意味が無い」と感じたからです。

なので自分への教訓としては、まさに生物学のこの博物学的な広がりよう。そこには専門しかない。たくさんのミクロの分子を大勢の研究者が別々に追い求めている。確実に複雑なことになっていく生物学。そこで大切なのは「できるだけ簡単な理論体系を考えること」だと思います。

 

世界1の難問と言われる、リーマン予想も今熱いアプローチは、絶対数学という、「ただひとつの元からなる有限体」(つまり数字の根本から考える)アプローチが、有効と考えられています。

 

生物学、医学だって、何とか受容体も大事ですけど、他にも大事な視点ってありますよね。多忙な学部生ライフから、いかにそれを感じ取れるか。重要ですね。

まとめとして述べますと、生物学、医学は、「どう精密で精巧で、専門的な分子をどう一つにつなげて、簡単な理論体系を打ち立てるか」という問題にまさに直面してます。

乱文失礼しました。